日本で初めての万博
1970年「日本万国博覧会(大阪万博)」
日本では1970年に大阪で初めて万博が開かれました。テーマは「人類の進歩と調和」。
世界中の最新の技術が集まり、国内外からたくさんの人たちがおとずれました。
当時つくられた「太陽の塔」は、今でも万博記念公園で見ることができます。
参考:公益社団法人2025年日本国際博覧会協会, 万博学習読本小学校版別冊(短縮版), 2024年, p.3
万博と滋賀県のつながり
「太陽の塔」には外から見えるところに3つの顔があります。
1つ目は、頂上にある金色に輝き未来をあらわす「黄金の顔」、2つ目は正面にある現在をあらわす「太陽の顔」、3つ目は背面にある過去をあらわす「黒い太陽」です。このうち、3つ目の「黒い太陽」は、滋賀県の伝統的工芸品である信楽焼のタイルでできています。
また、明治時代に日本の出版を支えた印刷機に「謄写版(とうしゃばん)(通称:ガリ版)」というものがあります。これは東近江市出身の堀井新治郎父子(ほりいしんじろうおやこ)が発明したもので、当時の出版技術の大発明でした。このガリ版は、1893年のシカゴ万博(アメリカ)で発表された「エジソンズミメオグラフ」という印刷機をヒントに発明したものです。